デス・オーバチュア
第81話「光皇の微かな揺らぎ」




赤く染まった湖から浮上して、最初に見たのは長い間焦がれ続けた存在。
同時に長い間憎み続けた存在でもあった。

「なぜ、私の前に姿を現したのですか……」
捨てたくせに。
やっと忘れることができるようになってきた頃になって……。
『偶然だ』
そう偶然だろうとも。
偶然という名の必然。
運命というのはどこまでも皮肉的で質が悪い。
『ほう……俺に刃を向けるか? まあ、それも面白いな』
ケセドは白銀の槍を構えた。
相手は武器一つ持たず、無防備に立ったままである。
「はっ!」
ケセドは神速ともいえる槍撃を何度も放った。
しかし、相手は最小限の動きで全てかわしてしまう。
『なぜ、槍など使っている? 剣ならおそらくお前に敵う存在などまずいないだろうに……どれだけ熟練しても、槍の方が剣より遅い……これがどういうことか解らないお前じゃないだろう』
「黙れっ!」
ケセドの最大限の闘気を込めた渾身の一撃を、相手はあっさりと受け止めた。
『例え、お前がもっとも自由自在に操れる剣でも、俺の速さについてこられる可能性は低いだろうに、槍では話にもならないな』
槍の刃先が粉々に握り潰される。
「くっ……」
「お姉様!」
ビナーの声が場に響いた。
『……ん? そうか、そういうことか。だから、お前は……』
ビナーを見つめた後、全てを悟ったように呟く。
『じゃあな、俺のことは忘れて一人……二人で生き続けるといい』
相手の左腕が光り輝いたように見えた瞬間、ケセドの意識は途絶えた。



「まさか、このような場所でこのような形で、再びお目にかかるとは思いませんでしたわ」
ビナーは、意識を失い倒れている姉、自らの半身の前に跪く。
姉の頭を自分の膝に置くと、黄金の光輝を放つ両手を姉にかざした。
『そんな形になってまだ生きてるとは俺も思わなかった。お前も俺に挑んでみるか?』
姉をこのような無残な姿にした存在が呟く。
予想外、期待していなかったことが起こり、嬉しいといった感じの声だった。
「いいえ、あたくしはお姉様と違って、貴方様を恨んでいませんから」
『ほう……』
ビナーの反応が予想外だったのか、そのことでまた嬉しそうな声を出す。
「貴方様が捨ててくれなかったら、今のあたくし……あたくし達は生まれることすらありませんでしたから。感謝こそすれ、恨んだりなどする気は毛頭ありませんわ」
偽りではなかった。
懐かしさや愛しさ……今感じているのはただそれだけ。
「それにしても、まさか貴方様ともあろう御方が……あんな……と……」
『それを言うな』
少し困ったような、自嘲するような声だ。
『まあ、ただの気まぐれ、酔狂だよ、暇潰しのな』
自嘲から、どこまでも楽しげで意地悪げな笑いに変わる。
「相変わらずなのですね……飽きたらポイですか? あたくし達のように」
ビナーも相手と同じよな笑みを浮かべながら尋ねた。
『なんだ、やっぱり、しっかりと恨んでいるじゃないか?』
そう言うと、楽しげに喉を鳴らす。
『さて、予想外に楽しませてもらったぞ、お前達。礼を言ってやろう』
「あら、貴方様があたくしごときに礼を言われるなど初めてですわね」
『うん? そうだったか?』
「ええ、間違いなく」
なぜなら、ビナーに対してだけではなく、誰に対しても礼や謝罪をしたことなど唯の一度もなかったのだ……少なくともビナーの知る限り。
「……やはり、どこかお変わりなられたみたいですわ」
『そうか?』
優しくなられた気がする。
以前は、意地の悪さと冷酷さしかない御方だったのに。
『……と、あいつを待たせていたんだったな。お前らもう失せろ。この組織は、あいつの決着がついたら、俺が跡形もなく消し飛ばす』
「そうさせていただきますわ。この組織と心中する義理はあたくし達にはありませんもの。まあ、思ったより居心地の良い場所でしたけど……」
ビナーはいまだに気を失ったままの姉を担ぎ上げた。
『悪かったな、お前らがやっと見つけた居場所を駄目にして』
ビナーはキョトンとする。
今、この御方はなんと言われた?
『悪かった』と、謝罪をされたのか?
「……ホントに、お変わりになられたようですわね」
ビナーは小声で呟いた。
どこか寂しいような気もする。
優しいこの御方など気持ち悪いような……でも不快というわけでもない。
『何か言ったか?』
「……いいえ。では、あたくし達はこれで失礼させていただきますわ」
『ああ、さっさと何処へでも行け。お前らと俺の縁はとっくに切れている。お前らは好きに生きるといい』
「はい。では、これでさようならですわね……我が君……御主人様」
『今度はもっとマシな主人を見つけろよ』
かっての主の声を背に、ビナーは崩壊する組織を後にした。



「……さて、待たせたな」
蒼と黄金の双子がこの場から退室するのを確認すると、ルーファスは呟いた。
最初からのあの双子などどうでもいい。
遙か昔に、用済みになって湖に投げ捨てた槍と剣、それ以上でもそれ以下でもない、今まで完全に存在すら忘れていて、思い出すことすら一度もなかったぐらいだ。
ルーファスは、壁にもたせかけられている少女に歩み寄る。
少女は両手と片足を失い、心臓を貫かれ、完全に絶命していた。
「……ふん、誰が死んでいいと許可した?」
ルーファスは氷のように冷たい青い瞳で少女を見つめる。
彼の氷の瞳に微かに怒りや苛立ちが浮かんでいることに気づく者はこの場には誰もいなかった。
仮に、さっきの蒼と黄金の双子あたりが何をしようと、どうなろうと、彼にこのような『揺らぎ』は生まれなかっただろう。
この黒い法衣の少女だからこそ生まれた揺らぎだ。
怒り? 憤り? 不快感?
彼は自分に生まれた感情を正確に把握できていなかった。
他人が何をしようが、どこでいつどうやってくたばろうが自分には関係ない、何も感じない。
だが、この少女だけは別だった。
「お前は俺の物だ、勝手にくたばることは許さない」
お前には死ぬ権利すらない。
俺が飽きるまで、俺の側に居て、俺を楽しませ続けろ、それだけがお前の存在理由だ。
どこまでも傲慢で自分勝手な想い。
けれど、その想い、執着こそ、愛や恋と呼ばれる感情(欲望)のもっとも醜く、本質的なものかもしれなかった。
優しさや慈しみなどいった感情を彼は持っていない。
辛うじて愛でるという感情は解らなくもないが、端から見たら彼の愛でるとは『弄ぶ』にしか見えなかった。
この黒い法衣の少女に対してもそれは変わらず、愛するということも、優しくするということも理解できない、生まれてから一度もしたことがなかった彼は、見よう見まねで、愛してるフリを、優しいフリをしてきたに過ぎない。
偽りのない真実は一つだけだった。
執着。
それだけが真実だ。
いつ冷めるかも解らない、一秒後には他のモノと同じ何の価値も感じない塵にしか思えなくなっているかもしれない。
それでも、今この瞬間だけはどこまでも激しく少女に執着しているのは事実だった。
勝手に死ぬなど、自分の前から消えるなど許さぬ程に……。
「ふん……」
ルーファスは少女の亡骸を抱き抱えた。
「…………あん?」
違和感。
人間という生物は命を失うと冷たくなるのではなかったか?
「……心臓は跡形もなく消し飛んでいる……呼吸もしていない……だが……」
少女は以前抱き上げた時と変わらぬ温かさと柔らかさを有していた。
「何が原因だ?……赤い粉?……霊薬エリクサー……賢者の石の粉か……誰がこんな物を飲ませやがった?」
ルーファスは氷の瞳で少女の体を文字通り見透かす。
少女に働いてる力の正体は、赤い少量の粉だ。
エリクサー、エリキシルなどと呼ばれる賢者の石の粉末を材料とする霊薬。
万病を治す、死者すら蘇らせるという霊薬だった。
「別にこの前はショックで魂が抜けただけだから、魂を体に戻すだけで良かったてのに、こんな物を飲ませたのか……」
誰の仕業かは大方の察しはつく。
こんな物を持っているのは錬金術師か、錬金術を内包する魔導を極めた魔導師だけだ。
義理か、実か、どちらか解らないが、どちらにしろこの少女の父親の仕業に違いない。
「たく、厄介な物を飲ませやがって……」
死者を蘇らせれる薬を、予め飲んでいたから、死者になっても『生きてる』のか?
「いや、違うな……まだ、何かありやがる……」
ルーファスは、さらに少女の奥の奥を見透かした。
「ああっ!? 七色に輝く欠片だと! どこでこんな物を埋め込まれやがった!?」
ルーファスの驚きようはエリクサーの時の比ではない。
「ああ、そうだな……確かに、コレなら心臓の代わりぐらい簡単にできるだろうさ……何しろ……ああっ! くそう!……」
怒りのままに今すぐこの欠片を少女の中から引き抜いてしまいたかった。
だが、そんなことをすれば、疑似心臓を引き抜くことになり、少女は今度こそ死んでしまうだろう。
エリクサーの方の効果で、少しは心臓無しでも生きていられるかもしれないが……。
「ちっ! 後でどっちも引き抜いて、完全に洗浄してやるからな……とりあえず今は……」
偽りの心臓と、肉体維持の霊薬、後必要なのは……消費し尽くされた生命力の補給だけだ。
代わりの心臓を持ち、四肢を無くしても生きていられる肉体であろうとも、血や精気といった『生命力』自体が0では生きてはいられない。
「俺の血を一滴でもくれたら、使い魔にしちまうからな……まあ、輸血は後でクロスあたりでも捕まえて……ん? ああ、忘れてた……まあ、いいか」
ルーファスはようやく、クロスを魔界に置き去りにしていたことを思い出した。
「とりあえず、精気、魔力、生命力……エナジー(あらゆる種類の力の総称)自体を注ぎ込めばいいんだろう?」
過剰に摂取させれば、失った手足を再構築もさせられる。
少女はエリクサー服用者であり、神剣の契約者であるのだから、その程度の再生能力は余裕で持っているのだ。
要は再生するためのエネルギー源……エナジーが足りないだけである。
「まあ、一番効率が良いのは抱くことなんだが……それで壊したら本末転倒だしな」
魔界で彼に抱かれた者は魔王以外は全て例外なく『壊れた』、それがタナトスに今まで手を出さなかった理由の一つだった。
まあ、そういった心配とは別に、なんとなくそういった関係にはなりたくないというか、ただ抱く為の玩具とこいつは違う玩具というか、なんというか……自分自身でもよく解らない曖昧な拘りが手を出さなかった一番の理由なのだが。
いや、ただ単に、抱くことで彼女を手に入れてしまって、彼女への興味を失ってしまうことが怖かったのかもしれなかった。
「……怖い? この俺が……?」
執着を失わないために、わざと完全に手に入れない?
何かそれはおかしくないか?
執着し続けたいと思っている? 今の状態を、関係を好ましく思っている?
「馬鹿馬鹿しい……これはただの暇潰しの戯れだ……」
ルーファスは自分に言い聞かせるように呟いた。
自分を昼寝(シエスタ)から叩き起こし、さらに傷物にした……その責任を少女にとらせているだけに過ぎない。
「…………」
ルーファスは、文字通り死んだように眠っている少女を見つめた。
自分は少女の死を許さない。
愛玩動物が、玩具が、主人の許しなく、姿を消すなど許されない……ただそれだけのこと、それだけの感情だ。
ルーファスは抱き抱えている少女の顔を自分の方を向かせる。
「とにかく、死なれたら困るんだよ……」
そして、ルーファスは少女の唇に己の唇をそっと重ねた。
精気、魔力、生命力、あらゆるエナジーを彼女に注ぎ込む、ただそのためだけの儀式、行為に過ぎない。
だが、ルーファスは取り返しのつかない深みに填ったような気がしていた。








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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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